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<title>刺激</title>
<description> 本当に、久々にブログを書きます。忙しい毎日で、ブログのことも忘れていました。ちょっと、前回のブログで書いたことを読んだんですが、うーん、なかなか、僕もいろいろ考えているなと思います。すっかりこういった哲学的な思考の海は忘れ、現実に奔走していたもんですから。働くというのは、考えることを忘れることだと思います。現実に起こったことや表層の知識やルールを積み重ねることが、働くといったことで起こりやすい気が
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<![CDATA[ 本当に、久々にブログを書きます。忙しい毎日で、ブログのことも忘れていました。ちょっと、前回のブログで書いたことを読んだんですが、うーん、なかなか、僕もいろいろ考えているなと思います。すっかりこういった哲学的な思考の海は忘れ、現実に奔走していたもんですから。<br /><br />働くというのは、考えることを忘れることだと思います。現実に起こったことや表層の知識やルールを積み重ねることが、働くといったことで起こりやすい気がします。実に浅いところかもしれない。ようは、あんまり考えなくなる。考えるのは今ある仕事とか、休日は何をするとかそういったところです。<br /><br />それでいいんですけれども、あまりに表層過ぎる人は、ふと少し深みのある問題に出くわしたとき、例えば、経営者が息子に「会社には夢も希望もない」なんって言われたときとか、一種ゲームのように現実を楽しんでいるときに、ふとこのゲームでレベルを上げることに何の意味があるのだろう、なんて思ったときに、むなしさとかそういったものがこみ上げてくるのかもしれない。<br /><br />賢い人はたくさんいると思います。だがそれは、物理ができるとか、数学ができるとか、そういった一部分の計算ができる人が多い。いろいろなことを考えているといったって、ビジネス的にうまくいくように設計しているだけとか。または、自分の人生が楽しくなることだけを考えて、自分には非が無いように考えたり。<br /><br />人生にはいろいろなもんがからんでくる。ビジネスや家族や貧困や。それらの整合をとるのは非常に難しい。皆、一つの枠の中で有能であろうとし、善人であろうとするのかもしれない。そして大抵、どこかの枠組みからは逃げなければならない。<br /><br />世の中はきれいごとでは済まされないし、泥にまみれればいいといったわけでもないだろう。人は馬鹿にされ、馬鹿にしながら、似たような人と付き合っていくわけである。生き方はそれぞれであり、批判はだいたい決まっている。<br /><br />結局人は、自分の好きな刺激（かなり奥深い知的な刺激かもしれない）を得るために、生きるのかもしれない。 ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2009-03-01T12:17:35+09:00</dc:date>
<dc:creator>Uepon</dc:creator>
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<title>ルール</title>
<description> またもや久々の更新です。働くと忙しくって、ネットをやらなくなるもんで。なんか書くことがあればいいのですけども、大して無い。大して無いけれども、僕はいろいろなジャンルの本を読むほうですので、そういったものを読んでいて感じる世界について書こうかな。といっても別に、書くほどのことでもない。要は世界観とは本当にバラエティに富んでいる、といったものです。僕が言うのは、世界はむなしいとか、人間は孤独だとか、人
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<![CDATA[ またもや久々の更新です。働くと忙しくって、ネットをやらなくなるもんで。<br /><br />なんか書くことがあればいいのですけども、大して無い。大して無いけれども、僕はいろいろなジャンルの本を読むほうですので、そういったものを読んでいて感じる世界について書こうかな。<br /><br />といっても別に、書くほどのことでもない。要は世界観とは本当にバラエティに富んでいる、といったものです。僕が言うのは、世界はむなしいとか、人間は孤独だとか、人生は希望に満ちているだとか、個々人の価値観のようなものでなく、ある集団の世界の捉え方といったほうがいいかもしれない。<br /><br />法律や規則の中で暮らすコンサルタントの世界。家で働く専業主婦。3次元以上の空間次元を提供してくれる最新の理論物理。人間の直感に迫る音楽。数学の足し算が実は成り立たないことを証明する哲学。ありそうでありえない世界を描くライターなどなど。<br /><br />上記の世界観は、皆それぞれある部分で異なっていると思う。世界とは不思議なものなのだ。<br /><br />よくある話だけれど、世界観というものは、立体以上の存在だろう。僕が立っているところから見える世界観というのは、ある人が立っているところから見える世界観とはかなり違っているかもしれない。もちらん、よく似ているかもしれない。世界観とは、それ自体が間違うことなどありえないだろう。<br /><br />理屈的な間違いを探すのは簡単だけれど、根本的な感じ方に対する間違いといったものは無いように思うからだ。<br /><br />考えてみれば、世の中に間違いなどないのかもしれないが。たとえ、ある一時点で間違いと指摘されても、その後間違いじゃなかったといわれるかもしれない。だいたいが間違いである証拠や定義が重要となってくる。それがなければ間違いが何か分からない。<br /><br />つまりは間違いとは、あるルールの中で存在し、期間を設定した割り切りのようなものなのだ。<br /><br />我々は常に、ルールの中で生きているんだろうと思う。ルールとは法律とかだけではなく、むしろ自分で設定するようなものの中で。<br /> ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2008-09-15T02:56:27+09:00</dc:date>
<dc:creator>Uepon</dc:creator>
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<title>久々に更新</title>
<description> 久々にブログを更新します。2ヶ月近くになるかと思います。見てびっくりした！更新がつまらなくなったのではなく、本当に忘れていました。それくらい忙しくなってきたんですね、仕事。平日は基本的に遊ぶことが多いですし。で、久々なのでなにか書きます。いろいろ発見があったように思うのですが、その中でも、世の中ってのは反対もまた是なんだよなー、ってことがあります。これが不思議なんですけどね。自分の信念があって、そ
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<![CDATA[ 久々にブログを更新します。2ヶ月近くになるかと思います。見てびっくりした！更新がつまらなくなったのではなく、本当に忘れていました。それくらい忙しくなってきたんですね、仕事。平日は基本的に遊ぶことが多いですし。<br /><br />で、久々なのでなにか書きます。いろいろ発見があったように思うのですが、その中でも、世の中ってのは反対もまた是なんだよなー、ってことがあります。これが不思議なんですけどね。自分の信念があって、その信念と逆のことってのは非に思えるけれども実は是なんですね。イライラして否定したくなりますけども、イライラするからこそ、是なんです。つーか、世の中はなんでも是というか。元来、非も是も無い世界に、人間がなにかしら基準を作って是と非を生み出すようにした。それはグループの統率のためであったり、個人的支配のためであったり、いかにも素晴らしい思想の展開のためだったりとさまざまですが、実はその程度でしかない。弱い人間は、なにかしら心に絶対を持って生きたい。でないと、いちいちの物事に悩まなければならない。これもいいけど、これもいい、では困るわけです。<br /><br />犯罪もまた是なんです。そしてそれを罰せられ、または復習によって殺されるも是。社会から排除されるも是、ってところでしょう。別に悪いことを勧めるわけでなく、それはその人の環境や歴史や嗜好からくる選択であり、それを絶対に否定することは無理だと思うわけで、そういう輩はたいがい排除されるか隠されるか。まあ、ともかく、そういう人間であったなら、仕方がないのかもしれないのです。そういう人間は社会から嫌われやすい。しかし、さすがというか、そういう輩にも受け皿はあるわけですが。<br /><br />結局は嗜好だと思うんですよね。物事の判断は。なにが好きか嫌いかで人は自分の人生を決めていくべきなのではないかと。ただし、深い読みが必要です。今の自分と将来の自分の嗜好。複雑に織り交ざった選択による効果の全体的な嗜好的判断。大抵は好きばかりをとれないでしょう。選択の副産物に嫌いは混ざっている。<br /><br />好き嫌いというのもまあ、難しい問題で、一体なにが好きなのか嫌いなのかよく分からないところがある。本当は好きでも嫌いに見えることなんてのは、よくあるのではないでしょうか。<br /><br />そんな中で、人は信念に行き当たるのかもしれない。それは絶対に誰からみても正しい信念ではなく、好きな信念ではないでしょうか。愛すべき信念に従うこと。それが自分が好きになれる生き方やもしれません。<br /><br />で、こんなことも考えつつ、次に女というのもいろいろあるなーと思うこのごろです。昔は見た目派だったけど、結構そういった女の子のいる店でちょっと遊ぶようになってくると、内面で無理だって子は結構いるようにも思う。みんなだいたいはいい子なんですが、その内面を好きになれそうかというとそうでもないってのが結構。人は結局ソフトウェアなんでしょうな。ハードウェアはある程度自分が好きになれる幅を広げてくれるけれど、その幅のトップにあてはまるかどうかはソフトウェアのような気がする。<br /><br />で、もう一つ。ちょっと「あずみ」という漫画を読みました。15巻ぐらいまでですが。まあ、その後はだいたい似たようパターンが続きそうなので読まないことにしたんですが。しかし、ああいう漫画を読むと残酷な世界だなーと思います。ああいった世界で、僕があの中にいたら、一体どれくらいひどいことをしたのだろうかとふと思う。またはひどいことをしないですんだだろうか、と。<br /><br />結局、人が、自分の善に従うとは、まあ、この善は前述の嗜好的なものだと僕は解釈しますが、その善に従うことは、その世界の環境の中で、できる範囲の、いやそれ以下のちょっとした善に従うくらいしかできないように思う。平和な世の中なら、電車でお年寄りに席を譲るくらいは当たり前かもしれない。戦争が耐えない悲惨な世の中なら、家族が生きるため、食べ物ほしさに殺しあうのも仕方がないのかもしれない。<br /><br />まあ、ともかく、善というやつは、その環境にかなり左右される。そのときの善はその環境で善であればいいように思う。自分の中の絶対的善を行うというのは、並大抵のことではないでしょう。<br /><br />人はともかく、自分の殻に閉じこもって、自分を眺めながら何が良くて何が悪いなどといっている。殻を破っても必ずその外に殻がある。誰もが死ぬまで、自分の殻をかぶって生きている。実は殻がやぶれることはない。矛盾が消えることはない。そう思うのですが。 ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2008-08-14T01:04:28+09:00</dc:date>
<dc:creator>Uepon</dc:creator>
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<title>生かされると生きると</title>
<description> このブログもどんどん寂れていく気がしますね。いや、こんなもんか。なにか書こうかと思ったのですが、特に書くもんもありません。かといって、たまには書かないと続かないでしょう。で、今日驚いた話がありました。日本の殺人事件って、半分が親族内でやってるらしいですね。最近は。家族の中で殺しあう、ってんだから恐ろしい。仲の良い家族もいますが、めっちゃ仲が悪い家族とか、突然そういうことが起きてしまったとかがあるん
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<![CDATA[ このブログもどんどん寂れていく気がしますね。いや、こんなもんか。なにか書こうかと思ったのですが、特に書くもんもありません。かといって、たまには書かないと続かないでしょう。<br /><br />で、今日驚いた話がありました。日本の殺人事件って、半分が親族内でやってるらしいですね。最近は。家族の中で殺しあう、ってんだから恐ろしい。仲の良い家族もいますが、めっちゃ仲が悪い家族とか、突然そういうことが起きてしまったとかがあるんでしょうね。全体として仲が悪くなっているとは思えないけど、極端にきついところがでてきている。<br /><br />なにかが狂っているような感じも、やっぱしますね。昔はすさんでいる原因ってのは割合明確だったと思うんですけど、例えば食えないとか、夜盗が出るとか、そういうの。しかし、現代は、一体なにが原因かが定かではないようなところがありますね。物質的には豊かなのだし。<br /><br />なんだか苦痛なんだ、ってところがあるんでしょうね、現代は。例えば、そこに座っといて、といわれてずっと座っていることは苦痛でしょう。通勤電車や長旅のあとでは、どうにかして座りたいと思うのに。<br /><br />不思議なもんで、君、生きといて、って言われるのもそれなのかもしれませんよ。死ぬかもしれない、生きるんだ、って思っているときはどうあっても生きたいのに、ただ生きてろといわれたら、俄然死にたくなったり、どうでもよくなったりすんのもかもしれません。まあ、座ると生きるが一緒だったらの話なんですが。<br /><br />しかし、まあ、実は生きることは大変だと思います。世の中は不合理で理不尽かもしれませんが、その中でどう生きるかが人生の課題やもしれません。不合理で理不尽な世界だから、自分も不合理で理不尽に振舞おうとするか、それとも自分だけは理想をもって、それを目指すか、とその中間もあるでしょう。<br /><br />ともかく、我々は生かされたいのではなく、生きたいんでしょうね。結果は同じようなものなのに、特にそれにこだわるのは若者っぽいですね。後は成功者か何かかな。<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2008-06-30T00:29:54+09:00</dc:date>
<dc:creator>Uepon</dc:creator>
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<title>集団化しない若者</title>
<description> 最近は日常を書きません。ずばり、働いとるからです。仕事を書くわけにはいかんので、社会学の話を。社会学を読んでいて思うことがあります。個人主義の衰退です。特に若者の。最近では秋葉原の事件がありました。こういった事件は、一個人にのみ、完全に物事を帰すのでは、先にすすみません。むしろ、どうしてああいう個人が生まれたか？を議論する必要も出てくる。非正規雇用と正規雇用の格差、それによる社会的な圧迫はまあ、あ
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<![CDATA[ 最近は日常を書きません。ずばり、働いとるからです。仕事を書くわけにはいかんので、社会学の話を。<br /><br />社会学を読んでいて思うことがあります。個人主義の衰退です。特に若者の。最近では秋葉原の事件がありました。こういった事件は、一個人にのみ、完全に物事を帰すのでは、先にすすみません。むしろ、どうしてああいう個人が生まれたか？を議論する必要も出てくる。<br /><br />非正規雇用と正規雇用の格差、それによる社会的な圧迫はまあ、あるわけで、如実にその鬱憤が世に出てきているようにも思います。若者の失業率も高く、巷では努力不足とか働く意欲の欠如とか、言われてるわけですけど、それもあたっているとしても、それだけではない。社会の仕組みとか、本当にどうしようもなくなっているネットカフェホームレスとか、いろいろある。言われっぱなしって感じもしないでもない。<br /><br />社会学だったか、心理学だったか、個人主義は弱くなったといわれる。個性が重視され、他との関係をもたなくとも生きていける世の中になっているのに、なぜ？と思うかもしれないが、個人主義とは別に、他と関係をもたないことを指すのではないでしょう。世の中で強くなっているのは孤独主義とでもいうやつかもしれない。<br /><br />個人主義が弱くなった原因は、集団化しなくなったことだといわれる。個人は独りでいる限り弱い。だから、個人はある重要な共通意識をもった個人と集まって力を持つ。なにかを訴える。個性やマイナリティーの主張を正当化するためには、なにかしら力が必要で、そういう多様性を維持するために個人は集団化する必要があると思う。<br /><br />現代の、特に若者において、集団化が弱い。今若者はとても苦しいのかもしれない。悩んでいるのかもしれない。しかし、集団化しない弱者である若者は、その声があまりに小さいのだと思う。たとえ、集団化した強者に運よく拾われたとしても、それは強者の立場からの強者の解釈というメガホンをつかった宣伝であることが多いように思う。<br /><br />死ぬほど苦しいのに、社会に伝える術がわからない、という現状があるのかもしれない。この見えない苦しみが、世の、特に若者の間で渦巻いているのかもしれない。年金問題であれだけ政治に影響を高齢者が与えるのは、なにも数の問題だけではなく、彼らは集団化する知識とパワーを持っているのだと思う。<br /><br />資本主義や民主主義は、自分自身を変える方法もまた、資本主義や民主主義による手段を使うことを義務付け、それが強烈な排除となることがある。<br /><br />それは日本の法律でこうなっているから駄目なんだ、と日本の国会議員が述べるようなもんかもしれない。資本主義の手段を使っていないから、その方法は間違っていて、資本主義を否定することはできない。<br /><br />これにのっとらないのが、犯罪だったり、テロだったりするのかもしれない。<br /><br />しかし、それは最後の手段というか、破滅的かもしれない。むしろ、資本主義や民主主義の手段を使えば、資本主義や民主主義は変えられるかもしれない。他の主義とは異なって。<br /><br />ともかく、なにが嫌なのかわからないなら、なにが嫌なのか分からないことが嫌なんだ、と言うのもありなんじゃないだろうか。ともかく、しゃべらなければ流れていくだけだと思う。 ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2008-06-13T00:17:44+09:00</dc:date>
<dc:creator>Uepon</dc:creator>
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<title>ネバーギブアップ</title>
<description> 最近はすごい事件が起きますね。どうも社会は自己中心的な方向に進んでいるんでしょうか。っていうのは、よくある意見です。自己中心的というか、リアルティーの無い世界なのかもしれませんね。こう、見えない部分、見せない部分が多いでしょう。どんどん、綺麗なところだけが流れる世界になっているのかもしれない。人の苦しみを自分で味わったら、という想像力に欠ける。ひいては、思いやりに欠け、自己中心的になっていく。独り
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<![CDATA[ 最近はすごい事件が起きますね。どうも社会は自己中心的な方向に進んでいるんでしょうか。っていうのは、よくある意見です。自己中心的というか、リアルティーの無い世界なのかもしれませんね。こう、見えない部分、見せない部分が多いでしょう。どんどん、綺麗なところだけが流れる世界になっているのかもしれない。人の苦しみを自分で味わったら、という想像力に欠ける。ひいては、思いやりに欠け、自己中心的になっていく。独りで生きられるような、生きているような擬似的な感覚がそれを生むのかもしれない。<br /><br />ちなみに、今の社会を見て、これだけ社会がすさんでしまった、という議論は、どの時期のどの社会と比べてかで正しいかどうかが決まってくる。ほんの一昔前の高度成長期と比べるか、江戸時代と比べるか、縄文時代と比べるか。アフリカの諸国と比べるか、中国と比べるか、で。江戸時代であれば、辻きりは結構あったでしょう。関東大震災では十何万人が死んだんでしょう。上の議論の結論は、一概に答えが出ない。時間軸的に現在は、社会的な退行や混沌が進んでいる可能性はありますが。進歩に伴うものは、良いものばかりとは限らず、いろいろな副産物があるもんです。一事件を全体論に安易に昇華させるべきではないんでしょうね。<br /><br />ところで、よく失敗を成功に活かす、というポジティブ論があります。これは僕もそう思うほうで、実際、失敗のほうが学ぶことが大きい。成功は、ある行動を強化してくれますが、変化に乏しいかもしれない。どちらかといえば、失敗のほうが、変化を生むための要因を発見させてくれる。<br /><br />しかしながら、自分を振り返るに失敗を分析的にみ、前向きに次に活かそうと思えるケースは、軽い失敗に限られているように思う。心理的にです。大きな失敗ですから、分析は嫌がおうにでもしてしまうんですが、それを次に活かそうなんて発想は出てこない。ただ失敗を失敗とし、暗い過去にしてしまうか、まあ、役に立っていないわけでもないぐらいに解釈する。<br /><br />本当は、大きな失敗こそ次に活かすべきはずなのに。僕はダメージがでかいと、ポジティブな発想を忘れてしまうんですね。<br /><br />気をつけるべきでしょう。失敗が大きいほど、そこから得る果実は大きいはずです。その心を思い出せれば、思えるならば、果実を手にできるはず。<br /><br />そんな人が、結構いるような気がしたので、書いてみました。 ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2008-06-09T01:20:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>Uepon</dc:creator>
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<title>個人の理想像</title>
<description> 僕も最近モラトリアムでさー。仕事をしながらも、将来の自分について探索しているような状態ですね。モラトリアムから抜けられないっつーのも嫌ですが、かくして確定してしまうのもつまらないもんですね。可能性や選択肢の多い現代において、逆にどれも選びがたい現実があります。日常生活を見れば分かるように、我々は無数の選択肢から、ほとんど同じような選択しかしない。選択肢が増えようとも、それを活かせないのも人間であり
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<![CDATA[ 僕も最近モラトリアムでさー。仕事をしながらも、将来の自分について探索しているような状態ですね。モラトリアムから抜けられないっつーのも嫌ですが、かくして確定してしまうのもつまらないもんですね。<br /><br />可能性や選択肢の多い現代において、逆にどれも選びがたい現実があります。日常生活を見れば分かるように、我々は無数の選択肢から、ほとんど同じような選択しかしない。選択肢が増えようとも、それを活かせないのも人間であり、同じことを好むのも人間なんでしょう。<br /><br />さて、ちょっとだけ書きたいとおもってこのブログを書いてます。それは個人の理想像のようなものです。よくあるのは、依存しない独立した一個の人間になることが成長ということだ、みたいなのがありますが、社会学でそれよりも進んだ話がありました。<br /><br />それは、相互依存です。人間は完全な独立は難しく、むしろお互いに依存して生活している。一方的に依存するのではなく、そこから独立できるわけではなく、相互に依存していることを認識することが重要なようです。これは同感できる点で、それを認識または感じていることが、成長ということかもしれません。<br /><br />今は弱い個人主義になってきているといいます。個人は独りでいる限り弱い。だから昔は団結して対抗したわけですが、それがなくなってきている。総じて、実は現代において、個人主義は弱まろうとしている、というわけです。相互依存の精神が薄れ、表面上の生活での十分さにながされているのかもしれない。<br /><br />つーことで、まあ、これぐらいを書きたかったんです。そういえば、モノを書いたり読むことは、話し言葉にも影響するみたいですね。言葉が書き言葉っぽくなっていく。これは良し悪しで、寅さんみたいな印象的なトークはできなくなる感がある。<br /><br />人は覚えると同時に忘れていく。得ると共に失う。この事実は、人類の歴史が証明しているかもしれない。 ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2008-06-03T01:39:16+09:00</dc:date>
<dc:creator>Uepon</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>自我の流動性</title>
<description> このブログも週一更新くらいになっていきそうです。家に帰ればパソコンをつけるときが少なくなってきたんです。ネットに対する知識も低下していくのか・・・。少々寂しい気もします。日常についてはいたって平穏です。働いている分、少々無駄使いしているぐらいでしょうか。あと平日はどっかに行くことが多いとか。そういや、久々に服を買いました。ホント何年間も勝ってなかった気がする。うーん、やばい。ファッションもちったあ
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<![CDATA[ このブログも週一更新くらいになっていきそうです。家に帰ればパソコンをつけるときが少なくなってきたんです。ネットに対する知識も低下していくのか・・・。少々寂しい気もします。<br /><br />日常についてはいたって平穏です。働いている分、少々無駄使いしているぐらいでしょうか。あと平日はどっかに行くことが多いとか。そういや、久々に服を買いました。ホント何年間も勝ってなかった気がする。うーん、やばい。ファッションもちったあ勉強せねばなりません。<br /><br />ところで、週一なんでなんか書きたいんですが、なにを書きましょうか。社会学を読んでいるので、それを書いてもいいんですが、それを丸写しっていうんじゃ僕が楽しくない。その社会学から、僕が何を考えたかを、できればこのブログで書きたいんです。<br /><br />でも、まあ、社会学を書きましょう。書くこともあまり無いのだし。社会学の自我が興味深いのです。<br /><br />社会学において、自我はそれ自体で存在できないものらしいのです。それは社会という海に存在する渦のようなもので、社会がなければ存在できないし、絶えず変化する。<br /><br />僕らの個性とはなんでしょうか。常に人とのかかわりの中で表現するのが個性ではないでしょうか。絵がうまいとか、数学が得意とか、それは他人と比べてです。話好きとか、やさしいとか、そういうのも。<br /><br />また僕らは、常に裏表のない、不動の存在でしょうか。自分の会社の社長と話しているときと、昔からの馴染みの友人と話しているときとで、その表現や態度、話の内容は同じでしょうか。主張するものは？そして、どちらが本当の自分なのか。<br /><br />人は人との間で自分を発見し、そして、相手が誰かによって変化する。我々の自我って奴は、こういった状況にあって、普遍であるはずがなく、むしろ流動的なようです。昨日と今日がまったく違うわけではないですが、まったく一緒というわけでもない。自分とはどういった人間か？皆が一度は興味をもつ問いですが、その答えは社会とのかかわりの中で発見し、失っていくものなのでしょう。<br /><br />自分は固定できるものではない、ということです。私はこういう人だ、という認識が人を固定させてしまうことも往々にあるようです。それでもどこかで変わるでしょう。しかし、私はこういう人だ、と思っている限り、変化を見つけられないかもしれない。<br /><br />自分というのは、発見するためにあるらしい。やさしいとか、親切とか冷たいとか、そういった継続的な性質表現にあてはまりきらないみたいです。期間によりけりですが。<br /><br />水泳では、ちょっとした体の使い方でずいぶん進み方が違う。そのように、我々の思考や考え方のちょっとした違いで、物事の進み方は変わってくるかもしれない。<br /><br />自分を型にはめる必要は無いかもしれません。ただ社会において、安定的なコミュニケーションは、安定的な役割を演じることにあるかもしれない。役割と個性は違うものだと思います。<br /><br />我々は社会において、さまざまな役割を演じるわけですが、それら役割に似合わない特徴をもっているのが人間でしょう。役割と自分への認識を分けることは、演じる場面の多い社会において、案外必要な知恵なのかもしれません。なるべくなら、楽な役割ややりがいのある役割にもっていったほうが良いのではないかとも思います。<br /><br />自分をあきらめる必要もないし、無理に可能性を信じる必要もないかもしれません。人生とは、勝ち負けのようにも思えますが、最後には、勝っても負けても同じようにも思う類のものやもしれまんせんので。 ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2008-06-01T22:59:27+09:00</dc:date>
<dc:creator>Uepon</dc:creator>
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<title>心理学や社会学もろもろ</title>
<description> 心理学で興味深い事実がありました。僕らはたやすく情報操作される存在であるということです。僕らにとってなにが真実であるか、なにが起こった出来事なのか。それら重要な関心事は、日常的でないものを除けば、ニュースで伝えられる。つまり、マスコミが報道した事実が、僕らにとって起こった出来事であり、マスコミが報道せず、またはマスコミが報道しても知らなかった出来事は、僕らにとって存在しなかったことになる。このこと
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<![CDATA[ 心理学で興味深い事実がありました。僕らはたやすく情報操作される存在であるということです。僕らにとってなにが真実であるか、なにが起こった出来事なのか。それら重要な関心事は、日常的でないものを除けば、ニュースで伝えられる。<br /><br />つまり、マスコミが報道した事実が、僕らにとって起こった出来事であり、マスコミが報道せず、またはマスコミが報道しても知らなかった出来事は、僕らにとって存在しなかったことになる。<br /><br />このことだけで、僕らはどれだけ情報に対して危うい存在かが見えてくる。またその描き方で物事の印象は大きく変わる。<br /><br />自分は洗脳されないと思っている人は、独自の情報網でももっているか、よほどマスコミに対して厚い信頼を寄せているか、マスコミの報道に対して、それが存在したか、実際はどのようなものかの判断がつく予知能力か霊能者、透視超能力者の類になってくる。我々はようするに、社会に、社会のシステムに盲信し、信頼性が空気のように感じるくらいまでになっているから、洗脳されないだろう、と心の奥底で思うのかもしれない。もしかすれば、今現在、洗脳されている可能性がある。まあ、情報操作の類はたくさん受けているだろうし。<br /><br />こういった心理学の問題提起は面白いし、面白いだけではすまない部分がありますが、他に複雑な問題への対処ということがありました。僕はジェンダー問題に対して、複雑すぎてどう評価するべきか分からないところがありましたが、整理すればよいということに気づきました。<br /><br />ジェンダーの問題。僕はフェミニズムを思い浮かべる。女性差別の問題。この女性差別。男女の平等とはなにか。とても重い荷を運ぶ仕事を男も女も同じようやることか。女らしさや男らしさを取り除くことか。女性の地位を向上させることか。男性社会に女性を適応させることか。<br /><br />こういった問題は、男性と女性の間に受け止め方の差があるだけでなく、女性の間にもかなりある。男が女を守る、という考え方が気に入らない女性もいれば、守って欲しいと思う女性もいるわけで、問題は複雑である。体の違いという物理的な違いを考慮しない平等と義務がうまくいくとは思わない。<br /><br />心理学は、フェミニズムに対する抵抗は、もう当たり前になった文化に自分が適応しているために起こるものも多いという。例えば、男性はなんとなく、恋人関係にある女性がご飯をつくってくれるだろうと期待していたりするでしょう。そういったものから、いちいちそんなことにつっかからなくても、みたいな発想も生まれてくる。<br /><br />それはよいとして、こういった複雑な問題を考えるときには、やはり整理が重要だということだ。ともかく、賛否両論の問題は後回しにして、差別と思われるところを修正すべきなのだろう。例えば、同じように働いても、女性は給料が低かったり、昇進できなかったりする。それをまったく違うところでバランスがとれているとかどうとかいう詭弁に惑わされず、単純に不利なのだから、修正していけばいいように思うのです。ある部分で同じことをやれば、その部分は同じように評価されるべきなのだから。<br /><br />同様に、女性は家事、男性は仕事のような分類も、根拠の無いよくわからない習慣的なところなので修正すべきところだろう。全体として、女性の割合のほうが日本では家事が多いとは予想されるが、その傾向をすべてにあてはめず、シンプルな論理を用いてあきらかな偏りを是正すべきなんだろう。女性の方が家事がうまいとか、きめ細かいとか、その事実が真実かどうかは疑わしいところが、たとえ真実であっても、女性の平均値がそうだからといって、ある一人の女性が家事をしなければならない理由にはならない。<br /><br />こういう部分を整理して、直していくことが女性差別撤廃の方向なのかもしれない。<br /><br />心理学もこういうのを考えさせられて、面白いものです。で、心理学は終わって、最近は社会学を読んでいます。社会学も刺激的です。社会学のある偉人はこういう。「犯罪があることは、社会が健康である証拠である」と。<br /><br />犯罪が正当だというのではなく、社会には犯罪がつきものだ、といっているのです。つまり、犯罪とは、物事がもっている性質ではなく、その物事を犯罪と決めることだ、というのです。<br /><br />つまり、人は規則をつくって、社会を作る。その規則から外れる行為を犯罪とする。犯罪が起きない聖人の世界では、前では犯罪でなかった些細なことが犯罪になるだろうという。人は非難する行為を犯罪とするのであって、犯罪があるから非難されるのではないのです。元は。ただ一度犯罪を決めれば、犯罪だから非難するという逆転現象も多々起こっているように思いますが。<br /><br />ようは、社会が健康であるとは、規則が機能しているということです。犯罪が無い社会とはつまり、やりたい放題の無秩序であるという。犯罪がなければ社会は機能していない。<br /><br />こう考えていくと、非難される行為は犯罪にとどまらない。マナーやルールが無数に社会には存在する。我々はこれを意識し、非難を避ける行為は、そこに社会があることを意味する。<br /><br />社会に対する非難は、もしかすれば、いつのまにか社会の規則を学習して作った自分のルールからの社会の規則のずれを非難するものに他ならないのかもしれない。しかし、社会の構成員による非難から規則が作られるのが正当な規則だとすれば、自分のルールからの違反は、あまりに正当性にかけるかもしれない。社会につばはく行為に、それほどの正当性はないといえる。<br /><br />しかしながら、社会の構成員も間違いを犯すだろう。それが非難されるべきでなく、または非難すべきものなのに、といった具合である。もちろん、過去の非難からの筋道から予想される帰結などによってである。その場合、個人は自分のルールからのずれというよりは、自分が正しく理解した社会ルールからのずれ、またはこうあるべきもっと良い社会のルール、自分の作った、ものからのずれを非難できるかもしれない。<br /><br />やはり世界は相対的である。絶対的でないように思う。関係の連鎖の中に、その時、その場所の正当性がある。<br /><br />我々は自分の大きな失敗に対して、後々で考えればたいしたことではなかったと思うことが多いかもしれない。しかし、もしかすれば、暗黙裡に社会のルールは非難の大きさだということを感じていたからかもしれない。それはその社会では、大きな犯罪だったのだ。 ]]>
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<dc:subject>日常</dc:subject>
<dc:date>2008-05-29T01:02:26+09:00</dc:date>
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<title>発達</title>
<description> このブログもあんまり更新しないと、ずっと更新しないことになりそうなので、危機感を持ちつつ更新します。仕事してると面倒だったり、疲れてくたばったりしてしまいます。特に先週は死んでました。今は休日をそこそこエンジョイして、心理学を読んでいたところ。今日、社会学も買ってみました。これも読んでみたかった学問のひとつ。割合僕は広く浅く知識をためこんでいっています。深いところは、専門家にならないかぎりはだいた
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<![CDATA[ このブログもあんまり更新しないと、ずっと更新しないことになりそうなので、危機感を持ちつつ更新します。仕事してると面倒だったり、疲れてくたばったりしてしまいます。特に先週は死んでました。今は休日をそこそこエンジョイして、心理学を読んでいたところ。<br /><br />今日、社会学も買ってみました。これも読んでみたかった学問のひとつ。割合僕は広く浅く知識をためこんでいっています。深いところは、専門家にならないかぎりはだいたい必要ないし、入門書程度をしっていれば、必要や興味から深くほりやすいという理由です。といいつつも、なんでも新しく読んでみる学問ってのは刺激的で興味深いのが、やってる一番の理由かもしれませんが。<br /><br />物理や数学を読み解こうとしないのは、それ自体道具的な学問っぽいところもあって、使わないと本当に役立たないのでは？ってところがあるのでやらないんですが、まあ、気が向けばわかりません。統計学くらいはやるべきなのでやると思います。さわりだけ。<br /><br />また、知識という奴は、どうやら新しく覚えたものによって、古いものまで影響されるものらしいのです。そういう意味で、幅広い知識という奴は、なにかを生んでくれるかもしれない、と期待しているのです。<br /><br />ところで、心理学で自我の発達というのを読みました。人間ってのはどうやら、成人ぐらいからあまり自我の発達がなくなってしまうらしい。年を食えば人が悪くなる、っつってたのは夏目漱石でした。世に出るまでは、嘘や不誠実やだましがいけないというくせに、世に出れば嘘や不誠実やだましがうまくないとやっていけない。じゃあ、初めから嘘や不誠実やだましをうまくやる方法を覚えさせたほうがいいじゃないか、っつって。まあ、結構あてはまるんじゃないでしょうか。こういうのって、使われる側よりも使う側におおいような気がしますが、まあ、ただのイメージですけどね。<br /><br />さて、自我の発達が見られない年齢が成人あたりということはおそらく、仕事をする段階でしょう。ここが発達の境目になる。世の中は厳しい。いろんなことがある。その良い体験、悪い体験をふまえて、どうやら成長する人ってのは少ないらしい。一様に強くなっていくような気がしますが、うまくいってる人は、だけれども、自我の発達がみられるかっていうと、やはり別らしいのです。<br /><br />ある環境の管理職になると、人に共感できなくなるとか、怒りっぽくなるとか、そういう負の影響もあるみたいですし。<br /><br />おそらく自我の発達は、どれだけコントロールし、納得できうるか、処理できうるかってところのように感じます。不確実で予想外で、思い通りでなく、期待はずれも多い世の中において、ストレスをためすぎず、自分の今に責任をもって、思いやりがあり、みたいなところだと思います。<br /><br />多様な問題がある現代において、その矛盾を理解し、あいまいさを受け入れる。この作業はとても大切なように思います。どうでもいいではないのですが、かといって、これはこうだ！ってのも違うんですよね。かといって、ドラマみたいな冗長的で情緒的な表現がいいかといえばそうも思いません。<br /><br />難しい問題ですがともかく、そういった世界で、自己中心的で人間中心的な僕らはとかくとまどって、好きなところしかみないわけですが、ともかく、生きるしかだいたいにおいて選択肢はないわけです。まあ、自殺という勇気があるのかないのかわからない行動もありますが、だいたいは生きようとするわけで。<br /><br />生きることを義務と思えば苦しいし、生きたいとか、生きるのが権利だと思えれば世界もよくなるかもしれません。<br /><br />なんつーか、文明が発達すればするほど、僕らの心はカオスを呈していくような気がします。そのカオスにどれだけ耐えられるか、どれだけ利用できるか。こういった力が、生きる力となっていくのかもしれない。 ]]>
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