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凄惨
今日もあいかわらずです。最近、ちょっと勉強量が増えた気がする。危機感がそうさせるんでしょうね。

FPは問題集を再度やり直しています。学科は大丈夫そうですが、実技はどうかな。まだ問題次第という感じもするので、そこの自信をつけたいと思います。

中小企業白書はグローバリゼイションの分野。アジアと日本のネットワークって、こんなに深いのかとおもいました。そして、日本のものづくり技術の高さを感じます。でも、アジアのコスト戦略を軸にした勢いはすごく、市場の競争が過熱しているのがわかります。乗る企業もあれば、消える企業もある。

アジアもEUROみたいな関係をつくりたいし、実際、実行しようとしてるけど、その取り組み以上に、アジアのつながりはビジネスで強い。政治よりもビジネスのつながりが深いことがわかりました。

にしても、今は日本の経済がどうこう、ランキングがどうこうなんて、企業には問題ないところがあるんじゃないでしょうか。多国籍企業は最適立地を目指して、世界に拠点を立てるわけで、今は資本金数千万の企業もアジアに生産拠点を立てる時代なわけで、企業は国境を越えている。ビジネスのボーダレスの意味がちょっとわかりました。まあ、でも、企業にも故郷があるから、やっぱり日本経済の停滞は痛いとは思いますが。

ところで、母親の首をもって、自首した高校生が夕刊のトップになってました。最近、こんな事件が多いけど、これは特に凄惨な事件。まだ全然わからないけど、どうしてこういうことをしたのか・・。

自分の親の首を切る、ってのが、すさまじい。こういう事件において、どうしてそうなったのか、これが一番気になるところだし、今後においても重要なことだと思う。

刑法を厳しくするという意見が見られるけど、こういった上のようなケースがおさまるとはあまり思えない。彼らがそういった刑罰の重さとか、自己の人生とかを計算してやっているようにはあまり思えないから。そりゃ、拷問みたいなのにしたら、意味はあるかもしれないけど。

昔はあまりなかった事件が、今起こっているということは、なんらかの原因があると思う。個人だけに原因を転嫁しているだけでは、事件は起こり続ける。原因を調べなければ、こういう事件は消えないと思う。

でも、やっぱネットとかの影響が強いのだろうか。思春期なんかに強烈なサイトを見てしまうと、かなり影響される気はする。それを考えると、上の事件の報道も大きな影響を与えているとは思う。

今の現代は、どういった世界だろうかと思ったとき、夢のない世界のような気もする。いや、夢の無いものと、夢のあるものがはっきりと色分けされるような世界。そして、夢の無いものでも、悲観的なものが多い気がする。昔は夢というほどのものがなくても、それが当たり前というか、特に夢を持つことがどうとかいう時代ではなかった気がする。働いて一人前になることが大きな評価を得る時代だった気がする。生活の苦しさもあったと思う。そういった社会の力持ちになる謙虚さが今より評価される時代でもあった。

現代において、企業の不祥事とか、政治家の不祥事は多い。さらに、企業の労働面でも、個人の管理体制が進み、個性の出し方すら、管理されているところがある。サービス業の接客態度が丁寧になればなるほど、その個人は人格を失う。ゆうなれば、演じる、という行為を強制される世界なのだと思う。

そこにきて、価値観の多様化によって、どれがいいのか、例えば、歴史的な人物で、誰からも評判の良い人物はなくなった。今の有名人も誰からも好かれる人物など皆無に近い。どうなったらいいのかが、明確にわからない時代。みんな批判されてるし、さらに裏側もよく聞こえてくる。素晴らしいと思った人物の裏側や違う評判が聞こえてくる時代。

人間関係も変わってきて、さまざまなコミュニケーションツールができ、多くの人とコミュニケーションをとりやすくなったかわりにその関係は希薄化していると思う。メールや電話、インターネットのチャットなどより、対面でのコミュニケーションのほうが深いコミュニケーションであるのが普通だ。それに、メールや電話などにより、多数の人物との会話ができる分、それに割く時間がとられ、特定個人との時間は削減される。

広く浅く。全体的にそうなってきている。コミュニケーションツールがいくらたくさんできたって、人間の時間は1日24時間と決まっているのだ。

学生と社会の分断もあるかもしれない。今の学校は特殊な世界のような感じがする。いわゆる温室観がある。そこへきて、社会はオフィス勤務が増え、自営業が減り、工場も外国とか、郊外の大工場というような、非視覚化も進む。親父がどういう風に働いているのかよくわからない。働くとはどういうことか、よく見えない時代かもしれない。接客業にしたって、サービスの改善や機械化でなるべくきれいな部分だけをだす。裏方は見えない。そして、上記のように、働くことの価値が薄れる企業の不祥事が多い。

今の教育制度ですべきことは、政策とかじゃなくて、教師がみる生徒の数を減らすべきなんじゃないかと思います。経営でも管理できる最適な人数ってのがある。人間の管理できる人数には限界があり、今の学校の現状は、管理できる範囲ではないと思う。

そして、家と近所とのつながりも薄くなってる。家の構造が主としてそうさせている感がなくもない。ネットやメール、電話の普及がバーチャルなコミュニケーションで満足させてしまうというところもあると思う。結局、同世代や仲間内のつながりだけが広くなるところがあって、ジェネレーションギャップは大きいのではないだろうか。年齢層間の会話が減ってる気がする。さらに青少年の凄惨な事件が、溝を深くしている気もする。

実際、こういった現状で大人も変わっている。というより、大人が変わり、敏感な子供や若者が変わっているのだとは思う。案外、何も考えていないようで、実は考えさせられる世界でもあると思う。情報過多な時代において、1つの価値観が絶対でないことがすぐわかる時代。価値観よりも、パワーに引かれる時代かもしれない。

それにしても、最近、こういった青少年の凄惨な事件が多い。その心の闇、と安易にいうのはいやなんですが、その原因はどこにあるんだろう。個人の人格や性質に還元できるなら、繰り返されないけれど、還元できないところがある。

僕はあまり音楽を聴かないんです。カラオケはときどき行きますけど。最近は音楽にしても、映像にしても、すごく繊細で、ガラスのような感性や美や描く。そういう斬新な感性が違った価値観を持たせてしまう面もある気がする。非現実的なほど、繊細さと純粋さをもった感覚におそわせるものもある。

感動的なドラマのシーンは感動を刺激する音楽が流れるけど、あの音楽が無かったり、妙な音楽だったりすると、まったく感動できないことってあると思うんでだけど、そういう力が音楽にはある。そういう、浸る感覚があまり好きではなくて、聞かないところもあるんです。

なーんか、すごく繊細さともろさをもった価値観が結構ある感じがするんです。うまくはいえないんですが・・。特に思春期はそういった感覚が元から深い時期ですし。人間って自己を悲劇のヒロイン化してしまうときがありますし。

まあ、現代は異様に感じるところは確かにある。僕はアフリカで飢餓で死ぬ人間を横目に、馬鹿みたいに金を使って外車を買ったり、高級じゅうたんを買ったり、高級なディナーを食べている人間が共存していることに異様さを覚えます。最近、気づいたんですけど、日本人とアフリカや他の貧しい国々とのギャップはすごい。

中世のヨーロッパの貴族と平民みたいな感じがする。貴族は平民の貧しさなど、気にしちゃいない。パーティーのドレス選びを気にしてる、みたいなイメージ。

経済ってのは、つながってる。日本がアフリカの飢餓にまったく関係していないわけではない。それになにより、同じ人間だと思うんだけど、金持ちは自分にとってポケットマネーの百万円を車には使うけれど、死にそうな人間には使わない。僕らの千円や百円も同じかもしれない。こう、テレビで金をふんだんにつかってる芸能人を見ると、ふと異様さを感じることがあるわけです。つっても、お金持ちで寄付されてる方も多いとのことですが。

まあ、ともかく、もののあふれる社会と、食うこともできない社会が共存しているところに異様さを感じるわけです。

でも、だからといって、現代に絶望しているわけでもない。昔よりは良い世界になっているような気がする。ワールドワイドにみて、民主主義ができてきていると思う。ファシズムのようなある権力者の横暴が減ってきている気はする。

テロと戦争がなくなればいい、で、親の首を切ったのではどうしようもない。誰でもよかったというのが、本当なら、社会に対しての憎しみみたいなものがあったんだとは思うけど。

そういう憎しみみたいなのは、誰しも持つことがあると思う。ある条件や環境がそろえば。それを発散したり、消化できない現代なのではないか、という気もする。発散するシステムをいくら整備しても、初めて話す人間に心を開ける人間は、日本人では少ない気もする。身近な人がその窓口になれるようにならなければならない。

価値観の多様化が、逆にどれをとっても同じみたいに価値観がシンプル化しているところもある現代。妙に過激になったりする。コアな部分をまったく理解できないところがある。機械化し、デジタルな環境で、哲学という部分がやたらと浅いところがある。理解者や賛同者がネットに転がってたりする。ネットのコミュニケーションはやはり浅い。お互いに相手がなにをしようと自分にはなにもふりかからない。良い場合と悪い場合があると思う。

まあ、哲学なんてのは、いる人といらない人があるような気もします。今に満足な人にあまり哲学はいらない。ただ、苦しむ人間をちょっとは気にしていこう、という感じはしますけど。

ただ、頑張ってる人とか、苦しんでる人に哲学はいるような気がする。哲学が無いとたまに頑張ってることが無に帰すことがあるし、哲学で苦しみを抜けられることがあるから。

考えてもしょうがないことは多い。けれども、考えて意味あることも多い。まあ、哲学をもとうとするかどうかも哲学ですね。

ともかく、上の事件は、闇から闇へではなく、全てを個人に帰すことなく、分析して欲しいとは思います。

テーマ:ブログ日記 - ジャンル:ブログ


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